■古建築:日本旅


玉川上水・入水地
1948年(昭和23)6月13日の深夜、大宰と山崎富栄は互いの 体を紐で結んで抱き合い、玉川上水に入水自殺をする。遺体は19日 の早朝、玉川上水を吉祥寺方面へ下った新橋辺りで2人の遺体を通行 人が発見。太宰の遺体は棺に移され運ばれたが、富栄の遺体は、少し 離れた道端に昼過ぎまでおかれ、父晴弘が1人で、変わり果てた娘の 遺体に傘をさし忘れられた人のように立っていたという。
入水地は玉川上水を吉祥寺方面へ進んだ場所で、山崎富栄が下宿して いた野川家からすぐの所だった。平成8年になって入水地近くに大宰 の故郷金木町より玉鹿石の無銘碑が設置される。
現在は流れがゆるく、穏やかな玉川上水だが当時は人喰い川と呼ばれ るほどの急流だった。
禅林寺 (大宰の墓前にはお花や線香が今でも手向けられている)
「骨の一部でもいいから御一緒に埋めて欲しい」と生前、山崎富栄は願っていたが、大宰は三鷹の禅林寺 に、富栄は文京区の永泉寺に埋葬された。